ダン・ピアソン氏の講演に思う

環境と素材を知る

 氏はさらに庭園を構成する可能性を秘めたあらゆる素材について、注意深く観察されていいます。たとえば「整然としたもの」とそうでないものといった括り方をしたり、「完全なもの」と「不完全なもの」と対比させながら全体の統一を図っています。先ほどの単なる視覚的要素とは異なる次元で思考されているのではないでしょうか。日本人(だけではないでしょうが)が得意とする光・水・音を取り入れた作品の紹介もありました。流れや水の存在を想像させる枯山水、時間や季節とともに変化する陰影、周囲から聞こえてくる音、庭の中から植物から発せられる音、人工的に作られたつくばい、水琴窟からの音などがあります。このように諸外国では評価の高い豊富な素材があるにもかかわらず私たちは生かす努力を怠り、単に欧米の模倣に走ることもしばしば。おおいに反省しなければと思います。

木漏れ日

 デザインに視覚的効果だけを求めてはならないことも暗に主張されました。それは植物などの特性、生態を熟知したうえに構築されるべきということでしょうか。屋上庭園は下界と比べ通年風当たりが強く乾燥しやすい、特に真夏の異常高温は深刻となる劣悪な環境です。そうした場所には風で葉がそよぐグラス類を多く用いて庭園の存在感を強調すると同時に、これらの植物が葉面積に対して風による蒸散が少ないという利点を生かしているそうです。また高木性の樹木は最小限に用い、枝先を切りつめて樹冠をコンパクトに整えながら、必要に応じて枝を幹の付け根から間引くとのこと。生産苗畑から来たばかりの植物は過保護に育っていることがあり、見てくれ重視でそのまま植えても急激な環境の変化に対応できずに傷むことをよくご存じでした。こうした姿勢は、WisleyやKewにて植物の基礎から学んできた方らしく、現在注目を浴びている「六本木ヒルズ」(森ビル:東京)の屋上庭園を手がける前に、周辺部の植生をご自分の目で確かめられたことでも解ります。営利のために成長を重視をするあまり過保護でひ弱な植物を育成しがちな私たち生産者や素材の基礎知識を習得せず見てくればかりを気にする設計者には耳の痛い話でもあり、情報交換をしながら理解を深めていく必要性を感じた次第です。

安田侃の作品

安田侃の作品(アルテピアツァ美唄にて)